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八幡四川飯店&ガーデンズは、1997年に中島屋ホテルチェーン創業80周年記念事業として開業。 「鳥歌い、花咲くガーデン」をコンセプトに都市型アーバンレストランとして、注目を集めました。ガーデンズ自慢のお庭の設計は中島健氏が、現在はその志を受継ぐ山田茂雄氏に管理をして頂いております。 |

花を使ってみたいと思うようになったのは、昭和37年、在ローマ日本文化会館の庭を造るため、ヨーロッパに行ったことがきっかけでした。そこできれいな花の庭を見て、どうにかしてこの豊かな色彩を日本の庭に取り入れられないかと思いました。
これまで日本の庭というのは、緑以外にはあまり色彩がなかったし、またそれをよしとしていたところがありました。
私は吉田茂さんの庭を造りました。吉田さんは海外生活が長かったので、たまたま花を植えたいと言われました。パンジーを植えてみたけれどしっくりしない。吉田さんも「やっぱりおかしいね」と言われてやめてしまいました。
吉田さんの庭は京都風だったのですが、日本的な景色のなかにぽっと海外からきた花を入れたのが失敗だったのです。
花を使うためには、庭の作り方、たとえば岩組みなどもそれにあわせて変えていく必要があったのです。
そのあと初めて本格的に花を使ってみたのは、ミネベア軽井沢山荘の庭です。インテリアデザインはアメリカの女性で部屋のなかも洋風だから、ということで庭の陽の当たる部分に花を植えました。
私の場合、花を使うといっても、花壇の様にびしっと植えてしまうのではなく、いかにも種が落ちて自然にのびて花がさいているようにしたいです。
できるだけ自然らしさを大事にしたい。だから、庭を造るときも樹木は一本も切りません。もしかりに樹齢50年の松があったとして、それを切ってしまったら、その木のもつ重み以上のものが造れるかどうかは分からないわけです。
もともと庭に関しては日本と西洋では考え方が違います。どちらかといえば、日本の庭は絵画的だし、西洋の庭は建築的。そして日本人は自然を尊重しながら庭をつくってきましたし、西洋では自然を征服して造ってきたわけですから。
日本人には、道端に小さな草をみつけても楽しめる、そんな感覚があったのです。風情を味わうというか…、私が表現したいのはその風情なのです。
言葉で説明するのは難しいのですが、心が柔らかくなって、ほっとした気分の内に本当の喜びを感じる、というような感じ。この風情がなくなると、日本の芸術ではなくなってしまうような気がします。
私は今まで海外にもたくさんの庭園を造ってきましたが、やはり外国の人のなかには日本庭園というと、どうしても鳥居があって、狛犬がいて、赤い橋があって、というような固定観念を持っている人が多いようです。
でもそれをやってしまっては困るのでそういった形にとらわれずに日本庭園の奥にある、日本人の感覚、心、そして哲学のようなものをか、外国の人にもわかるような、そして現代という時代にあったやり方で表現したい、というのが私の考えです。

-略歴-
1914年4月14日東京本郷生まれ。
昭和12年東京高等造園学校(現・東京農業大学造園学科)を卒業。同校で講師を務める一方で造園設計の実務に従事し、昭和32年綜合庭園研究室を設立。以来国内650ヶ所以上、海外20ヶ所以上の庭園を設計・施工管理する。造園界の数々の表彰だけでなく、昭和59年には外務大臣から造園を通じて諸外国と相互理解を深めたとして表彰され、昭和62年に勲五等双光旭日章を受けた。 2000年没